「商店街の活性化」
何年、十何年、どれだけこの言葉が日本中で議論されてきただろうか?
そして、その解決のために、多くのリソース(人、情報、時間、補助金など)が投入され、取り組んできたものの、活性化したといえる商店街の話が、どれだけあっただろうか?
成功がゼロとは言わないが、多くが、功を奏さず、現状維持、または衰退など、芳しくないものばかり。
いや
それ以前に、何をもって「活性化した」と言えるのか、基準すらあいまいなのだ。
それもないのに、枝葉の議論が優先され、基準もないままに、やみくもにリソースを消費して、元の木阿弥ということが多くある。
幸せの定義は人それぞれ
商店街活性化の事を調べて動いていると、「足並みがそろわない」ことがよく言われる。
- 「うるさく成るのが嫌だ」
- 「今で十分だから、何もしなくていい」
- 「後継者いないから、いずれしめる」
- 「税金対策だけしてたい」
- 「先祖代々からの土地だから、貸したくない、譲りたくない」
- 「もっと活性化してほしい。でも、年だから俺は動けない。」
- 「大手ショッピングセンターのせいで、こうなってしまった。あいつらをなんとかしろ。」
色んな声が聞こえてくる。
ここで間違ってはいけないのは、
一人ひとりの言葉は、もっともな事なのだ。
その人がそう感じているのだから。
それを「そんなこと言ってるんじゃない」「こうあるべきだ!」「そんなんじゃ引っ越ししてくれ」とか、指摘しても、刺激しても、意味のないことなのだ。
幸せの定義は、ひとりひとり、違う。
まして、価値観を強制するものでもないのだ。
じゃ、どうすればいいのか?
田邉なりの、商店街の活性化、まちの活性化。
結論はいたってシンプルだ。
「やりたい奴が、自分の金とリスクで商売を個々にきちんとやればいい」
たったこれだけの事なのだ。
やらない人、やりたくない人は、そのままでいい。
富士宮の商店街も、最初っから商店街じゃ無かった。
富士山の、神社の前に、商売やりたい奴が勝手に集まってきて、場所決めて、個々に商売やってた。
これだけじゃないと思うが、大きな分類でいえば、元々発生した大宮商人、山梨・甲州商人、滋賀・近江商人など、みなこの地に集まってきたのだ。
「富士宮ドリーム」「富士宮ゴールドラッシュ」を求めて。
商店街があって商店ができたのではなく、商店が集まって商店街ができたのだ。
まちが形成されてきたのだ。
これを勘違いしてる、商店街施策が、議論が、どれだけ多いことか。
大事な事なので、単語を変えて(笑)繰り返し書いてみる。
活性化は、
「やりたい人が、自己資金で、自らがリスクを負って、個々にビジネスをがっつりやればいい」
のだ。
今日の教訓
「自分でどんどんやる。誰かが面倒見てくれるわけがない。」
補足:にぎやかになってくれば、やらない人、やりたいくない人も、変わってくることもある。
後継者不在だったけど、遠くに就職した子供が「帰って何かをやりたい」というかもしれない。
「家賃見込めるなら、貸してもいいよ」思うようになるかもしれない。
その辺は、すべて、あと、なのだ。
商店街を一人の人としてみたてると
「商店街にとっての幸せ」とは、やりたい人が元気にやって、周りの細胞を活性化してくれることじゃないか、と。
今は、新陳代謝の過渡期。
なので、停滞している事は、悪いことじゃないのだ。
停滞は、過渡期に、フツーに現れる現象の、一つでしかないのだ。