連休の間、我が家に2人のスウェーデン人がステイ。
北欧出身の2人にとって、日本の湿気たっぷりの7月の陽気はさぞ暑かったであろうと、想像に難くない。
スウェーデン語は当然話せないので、
カタコトしか話せない英語でコミュニケーションをとる。
そして、妻と共に知ったこといくつか。
日常のある程度は、おおむね、ボディランゲージで伝わる
よく言われることですが、本当にそうですな。
ただ、最強は、今年6歳になる息子、保育園児。
彼の場合は、カタコトの英語どころか、ボディランゲージオンリー。
あとは、ブロックで遊ぼう!ゲーム!キャッチボール!単語だけで乗り切ってコミュニケーションをとる。
いや、彼にとってそれは自然なので、乗り切ったという感覚もないだろう。
背が高くて鼻も高いおじさんがそこにいて、遊んでくれた。
これだけだ。
大人になった僕たちは「伝わらなかったらどうしよう」「間違えたらどうしよう」そんな不安が目の前をよぎり、挙動不審になってしまうことがままあるが、彼にとってはそんな戸惑いも不安も最初からない。
保育園児の息子に見習いたいと思った。
日本独特の文化や習慣は説明が大変 or 理解されない
税金の関係で、北欧よりお酒が遥かに安い日本。
彼らに「じゃ、日本にいる間に、飲みだめだね」と、日本人ではよくある会話をしたら、まったくもって通じなかった。
ジェスチャーを交えても「I can not understad」「飲み?ためる?わからなーい」と、英語&カタコトの日本語で返してくれたが、
「何をいっているか意味がわからなーい」
と、彼らの脳内ではつぶやいていたであろう。
翻訳サイトで 飲みだめ 英語 で調べてみた
stuff oneself with food so that one can go without eating for some time.
だそうだ。あっているかどうかはわからない。これをさらに再翻訳したら
しばらく食べることなく行くことができるように、食べ物を身につける。
だそうである。ああ、なるほど。
日本人でさえ、飲みだめ食いだめと言うが、そもそもそんな事出来ないことはわかっている。
日本人でさえ不可能だと思っている事を、彼らに理解してもらうことがいかに困難か!ということを、直訳を見てその難しさを知った。
大きな学びであった。
でも、男女関係の話は万国共通
お宮横丁でやきそばを食べながら、いろんな国籍の人が入り乱れている様子を見ながら、僕は彼ら、29歳と30歳のスウェーデン人男子たちに聞いてみた。
「どの国のガールが好き?」
「Any Country OK!」と、素直なお返事。
うーん、やっぱりそこは、万国共通ですかね。
そんな彼らのうち一人は、アタック中の女性が居るという。
お付き合いできるかどうかうまくいくかいかないかわからない、的なことを言っていたので「フィフティー・フィフティー?50%50%?」と聞いたら
もう一人の彼が「ノット フィフティー・フィフティー。1:1 same exist」と、謎めいた事を言っていた。
彼は物理学とか、量子学とか、確率論はじめ各種数学理論、宇宙関係の仕事をしているので、その辺突然理屈っぽい。
スウェーデン人だが、10年前から囲碁もやったりしていて実力は3段クラス。知的指数が激しく高いのだろう。
「どちらもあり得る。どちらかがあり得れば、起きなかったことは、起きてないからわからないことなんだ。」的なことを教えてくれた。
非常に哲学的だ。
確かに、起きなかったことは僕等は認識できない。
物語ではif もしもは成立するが、実際の人生ではifは無い。
そこで選んだものを受け入れて前に進むだけなのだ。やり直しなど出来ない。
なるほどなるほど。
まともな英語すら話せないのに、高い次元の学問と哲学の世界に突っ込みかけて脳みそ混乱中パルプンテな僕だったが
最期は「そうか、すべてに1の可能性はある!勇気を持って進もう!」的に、勝手に良い方に解釈してこの話題を速やかに終えた。
突っ込んだら、永遠のブラックホール、深掘りモードで返ってこれなくなる恐怖すら感じたからでもあった。
希望を持ったまま、次へ行こうではないか。
ノープロブレム
そんな夜、酒が果てしなく強い彼らとのBBQの後で当然僕は先にソファーでダウンした。
僕はうなされて寝言を言っていたらしい。
「No,Problem」「No,Problem」
寝言がついに英語になった、国際人に一歩近づいた・・・錯覚をした夜であった。
ノープロブレム。