地元新聞紙の一つの新聞が、6月に名前も新たに復刊し、別団体名義で寄稿をした。IT情報化が加速するこの時代に、果敢なチャレンジだと思うという書き出しからの内容の一部を再掲してみる。
「人はあの日に戻ってやり直しはできない。だが、あの日の経験を元に、今日から出直しは出来る。まちづくりにおいても、多くの分岐点がこの富士宮にはあった。評価すべき事柄も多々あるし、その逆でため息しか出ない負の遺産も多々ある。だが、忘れてはならないのは、私達は過去に生きているのではない、最新の未来である「現在」を生きているということだ。
さらなる未来をつくる地域の子どもたちは、夢と希望で生きていく。我らの経験、成功も失敗も、その情報を有意義な形で、彼らにも伝えて行きたい。 ~中略~ 命ある限り、何度でも出直し、地域の礎になっていきたい。必要なのは覚悟と、いつでも一歩前に出る勇気なのだ。この新しいメディアの出直しにも大きく期待をしたい。」
というわけで、過去、ああだったこうだったと批評したり、もしもこうしていれば、というif、仮定の話をする人は想像以上に多いが、そんなことをしていても意味がない。
有るとすれば、その過去が何を意味したかを考え、今に活かすことだけだ。ならばこうしよう、と提案工夫改善する習慣を徹底したい。